栃木・徳島・熊本のご飯のお共・最強3選!
日本人は、やっぱり白米!
これ一つで、ご飯が何杯も食べられる!!
っていう、ご飯が絶品に美味しい「ご飯のお共」!
お新香、明太子、佃煮、いくら・・
数え上げたらキリが無いくらい、無数に存在します。
ご飯に合うお共は無限に存在しますが、知らないものも、また無限に存在します。
私たちが普段食べているご飯のお共は絶品だけど、知らない絶品も食べてみたいですよね。
今回は、新説所JAPANで紹介されていた、ご飯のお共に最強の3県「ご飯のお共」を紹介します。
栃木県「モロ」
「モロ」とは、モウカサメというサメの一種です。
体長3mほどの食用サメで、栃木県では一般的によく食べられる魚の一つです。
よくスーパーの鮮魚コーナーで見かけますが、あまり買うことは無い魚かもしれません。
意外に安く、2切れで200円~300円ほどで売られています。
モウカサメを煮付けにすると、絶品のご飯のお共になります。
【レシピ】
◆砂糖…小1
◆醤油…大
◆みりん…大
◆生姜…1かけ
◆水…150㏄
・モロを塩水で洗い、生臭さを取ります。
・水気を切り、合わせた調味料とモロを入れ落し蓋をして約10分煮込む
作り方は、簡単でシンプルです!
モロは身がたんぱくなので、濃い目の味付けでもいいかもしれません。
調味料の量を調節して仕上げてください。
身がふわふわでとろけるモロは、、臭みも骨も無いので、小さなお子さんにも喜ばれる一品です。
栃木県は、海なし県と言われている県ですが、なぜモウカザメが一般的に食されているのか!?
サメには肉にアンモニアが含まれているため、腐敗しにくい魚です。
アンモニアが防腐剤の代わりになるので、水揚げから2週間経っていても生で食べられます。
昔、内陸の栃木では漁港から持ち運ぶのに、約10日ほどかかってしまい、通常の魚は腐ってしまい食べれませんでしたが、モウカサメだけはアンモニアのおかげで腐らずに持ち運ぶことが出来たのです。
その理由から、今でもモウカサメを食べる文化が染みついています。
徳島「そば茶汁」
そば米とは、ソバの実を蒸して乾燥させたものです。
鍋で5分ほど茹でれば、見た目は白米にそっくりです。
【レシピ】
◆かつお出汁…400㏄
◆醤油…大1.5
◆みりん…小1
・そば米は鍋で5分茹でて水気を切る
・大根・人参・油揚げなどの定番具材を煮込む
・煮立ったらそば米を入れて一煮立ち
そば米はプチッとした食感でご飯のお共として一緒に食べられています。
なぜ、ご飯に似たそば米汁をご飯と一緒に食べるのか!?
鎌倉時代からの伝説があります。
日本三大秘境の1つ、祖谷地区という場所があります。
祖谷地区とは谷の斜面に集落を形成している地区で、そばの産地としてそば畑がたくさんあります。
源平時代、1180年~1185年にかけて、武家の棟梁を競い源氏と平家の間で戦いが起こっていました。
1185年、壇ノ浦の戦いで平家が破れ、源頼朝が鎌倉幕府を開き、源平合戦で敗れた平家の落人が祖谷の急斜面の土地に隠れるように住むようになったのです。
平地が少ない祖谷では田んぼが作れず、米の代わりに急斜面でも種まきから75日で収穫できるそばを栽培していました。
米が無い祖谷では、そば・雑穀が主な主食でした。
しかし、お正月だけは、かつての京の都を思い出しながら、雑穀を作ってそれを雑炊みたいに食べていたのです。
それが、そば米汁です。
その後、お米も食べられるようにはなったのですが、そば米汁がとても美味しいことから、ご飯のおかずとして今でも一緒に食べられています。
熊本「御飯の友」
日本初のふりかけと言われる「御飯の友」
いりこを100%使った商品で、カルシウムたっぷりのいりこを粉末にし、醤油・でんぷんなどの調味料で味付けし、ごま・青のり・岩のり・卵の具材と混ぜ合わせて作られた「ふりかけ」です。
作られたのは昭和初期
当時の日本は慢性的な食糧不足で、痩せ細った子供たちが多かった時代です。
何とか、悪い食糧事情を改善し、子供たちに栄養を摂らせる方法を考えたのが、薬剤師の吉丸末吉という人物でした。ご飯から栄養補給が出来るように、地元で獲れるいりこを加工。
子どもでも食べやすく味付けをし、「御飯の友」というふりかけが誕生しました。
現在も当時の製法と変わらず作られていて、現代の子どもたちにも愛用されています。
まとめ
誰にでも一つは、これさえあればご飯何杯でもいける!
っていうご飯のお共がありますよね。
今日、紹介させていただいたご飯のお共は、私はどれも食べたことが無いものでした。
スーパーでモウカサメをよく見かけるので、さっそくそれから試してみようと思います。